furafla

ふらふらしている。

2014/12/14 [reading note - π] SHIBUYA-WWW

どれだけ悪趣味と言われようと、音楽でしか自己表現出来ない人間に非常に惹かれる。

それは恐らく「バンド」という生き物を知ってからすぐに芽生えた感情であり。
今後出会うであろう様々なバンドに興味を持つ際、必ず指標の一つになるくらい、私の中で重要だったりする。

音楽がなけりゃ死んでる。そういう人が創る音楽というのは格別だ。
それしかない。という緊張感がいい。

人間、一日数百キロカロリーと水があればある程度は生きていけるぐらいにはたくましい生き物であるはずなのに、それではちっとも足りていないような。
不器用を超えて、生きづらそうなのだとても。
横たわっているだけで日々が終わるなんて耐えられない。
怠惰でいることは簡単なのにそれすら苦痛で、生きているのに死んでいる。
そんな強迫観念から逃げ出すようにして音楽を始める人がとても好きだ。
そういう人ほど、音楽はいつしか”逃避”の場所ではなく”依代”になり、最終的に”生業”になる。
バンドマンという「個」、バンドという「生き様」を見せなければ成立しない、そういう場所に駆り出されていく。
それが誰の命令でもなく、自分の意思で始まった時、その人はきっと人生で初めての「今を生きている」という感覚が芽生えるんじゃないかと、勝手に思っているのですが。


あ、あ、あの。
reading noteって割りとその気がある。
特にボーカルの人に。


ほんとうに、あの。
怒られませんように。
めっちゃくちゃ、最上級の褒めことばなんです。
何様目線だ。
いや本当に。怒らないでほしい。望まぬ炎上ほど悲しいものはない。


バンド、ひいてはバンドマンという存在に於いて「音楽しかない」という生き様がどれだけ美しく素晴らしく、客の胸を打つか。その愚直さに、どれだけ救われるか。
そういう人を待っていた。
そういう人でなければいけないと、思ってたんですよ、ずっと!
でもあんまり周りにいなくて!
っていう部分を、reading noteというバンドは見事撃ちぬいてくる。
エモいです。ラウド要素もあります。でもやっぱり、純粋にロックです。なにせ音を紡いでいる人達が真摯です。す、すげー!

だってバンドって、辞めようと思えばいつでも辞められる。
恐ろしいことに、それがどれだけ人気絶頂バンドであろうがなんだろうが、いわゆる「音楽性の違い」「人間性の違い」更に言っちゃえば「もうこいつらとは出来ねーわ! もう無理! 損得勘定とか知らん!」で辞められる。
バンドマンの感情一つで、どうにでもなってしまう、とても弱々しい箱です。
そもそも、サラリーマンや公務員とは土台が違う。雨降って地固まるみたいなのって、そうそうない。
床も壁もコンクリートで包囲されて、土から酸素が生まれることを望めないって感じの。
まずは観葉植物置いときましょうか? 的な。
カナヅチ叩きつけても土なら衝撃吸収してくれるのに、コンクリートってあいつ、全てを受け入れません? 分かりました壊れます、って突然の物分かりの良さ。
そういう箱に囲われているのがバンドだと私は、どこかで思っている。

だからこそ、こうして続けてくれているバンドというのは稀有だ。
柔らかい土に身を委ねることを許さずに、常に緊張感を持ってプレイしてくれている。あくまで我々は客であり、ファンであり、お金を払った分の対価を、どこかで求めているので。
ある程度、最低ラインの期待値はどうしても持ってしまうんですけども。私は。
それを余裕で10倍、100倍で返してくれるバンドでもある。現場に足を運びたくなる所以はそこにあるんですよね。
生で観たい、体感したいバンドって、それはまた稀有だ。


仕事もろもろであんまりライブ行けなくって、例えば今回なんて7月ぶり。その間に停滞したり、なにも変わってないバンドなんてごまんといる中で、reading noteはパフォーマンス、演奏、歌声、全てにブラッシュアップが掛かっている。
ほぼ確実に。

現在2月発売予定の19200というアルバム待ちなのですが、そこに収録される「エクストラタイム」という曲なんて、7月に聴いた感覚と今回ではもう全くもって別物。
音の出し方がクリアになっていて、この曲で伝えたいこと全てが伝わってくるような、覚悟のある音になってるようで、全身にビリビリくる。
私、技術的な部分(ここのリフが~とか、そうそうエイトビートが・・・タップが・・・カッティン・・・グ、、?)が全然わからなくて「いいものはいい! よし!」っていう大雑把タイプなんですけども。
そんな私でさえ明確に気づけるぐらいに、reading noteの音は正直だ。
誤魔化しがない。

渋谷WWWというライブハウスにもとても合っていた。親和性高い!

元映画館というだけあって、段差が激しく、大暴れバンドとの親和性はほぼ0だと思ってるんですけど笑、readingは飛ぶときは飛んで、しっとりするときはしっとりする、そしてしっとり成分のがやや高いバンドなので(五月病バンドと呼ばれる所以なのかも。エモだ!)、ステージがやや高で下からちょっと見上げる感じ、ステージから観客が一望できる感じ、そういうの含めて、とにかく似合っていた。
後ろから白のライトがパアッて差す時、まるで映画のワンシーンを観ているような心地になる。
日々のうつろいのなかで、映画のワンシーンを「生で」観れている、いっそ出演しているのでは? って感覚って、そうそうないので。
そういう瞬間、めちゃくちゃ感動する。


今回は、新アルバムの曲をほぼ全て?やってくれたのかな。
その中で「かくれんぼ」という曲があって。あ、reading note 歌詞botさん、いつも本当にありがとうございます。毎日眺めてます。
この曲聴いてる時の「(♡▽☆)」っぷりったらなかった。初めて聴いたんですが、もう、好みどまんなか。直撃。
自分が今人間として生きていることに対して、抵抗があったり、納得がいかなかったり、そういう思いを歌詞に乗せられる人はやっぱり凄い。こちらにはきっと想像もつかないほど、身を削ってる。商業的な部分が見えなさすぎて不安になるほどに。
売れるべきバンドだけど、売れるために創ってる曲なんて一曲もないところが、またこう、正直で素敵だ。

呼吸という曲も、人工涙液のような体液にほど近い感じが美しくて聴き入ったなー。
思うに、聴かせる曲と、盛り上げる曲のバランス感覚が優れすぎてる。
私はとても単純なので盛り上げ系の曲でめちゃめちゃテンションが上がってしまうし。腕を振り上げて身体を動かしたくなる。でも一変して、身体で音を刻むことすら憚られる曲もあるんだから、恐ろしいよね。
曲間で、チューニングを合わせている時の時間なんて、スピーカーを通していないのに弦の音が聴こえるほど静かだ。


なんか、ぜんぜんライブ自体の曲構成とかに触れてない。それは公式でセットリストが出てから…また…新曲の曲名と曲自体がちゃんとリンクしてないのとか…あって…ポンコツ。


あと今回、8人ほど友人や知り合いの方が来てくださってね。チケットプレゼント爆撃。無事巻き込まれてくださったみなさま、見てないことは確実なんだけども。こちらでも再度お礼を。
なにが嬉しいってその方々全員が全員「音がいい」「声がいい」「音に真摯だね」って言っていたことだ。
ねー! それね。 ね!!
初見の人にそれを伝えられるバンドは、やっぱり珍しい。
8人中4人が音楽に携わる方々で、毎日プロアマあらゆる音を聴いている人たちが、単純に、純粋に「いいね」って言っていたことが、どんな賞賛の言葉よりも意味があるようで
こういう音作りしているバンドを偶然にも見つけることができて、大層幸せだなと思う瞬間だった。
私はただの客で、毎回ライブに足を運べるわけでもなく、動員に繋がるような動きが出来るわけでもなく、基本一人参戦だし、こうやって好き勝手書くばっかりでなんの有益さも生み出せないんだけど
それでもライブを観たくなって、書きたくなるのは、reading noteというバンドが、そうせずにはおれないようなライブをするからなんですよね。
さんざんよくわからんことを書いたけど「魅せる」の、一言に尽きるのかもしれない。
すごいことです。
出会えてよかった感が並でないよね。


ときにこの人たちのライブが、クアトロだったら。
今は亡きAXだったら。
Zeppだったら、TDCHだったら。
渋公だったら!
日比谷野音だったら?
また全く違うんだろうことを思い、その未来を望まずにはいられない。
大きな大きなステージで、張り詰めた空気を創り上げては壊し、壊した欠片を集めて、1ピース1ピースつなぎ合わせながら、全く別のものを創り出して欲しいなー。


野音の、底冷えするくらいの季節に。
夕方から夜にかけて空がコントラストを変える短い時間に「プール」や「呼吸」って、あまりにお誂えむき、とんでもなく似合うと思いませんか。


なんつって。
妄想が得意なんですけども。
妄想でなく現実になるといい。
バンドは、人間が生み出すものである限り、有限です。100歳まではできないからね。
だからこの先、このバンドが生き続ける時間は、観続けていたいな。


これからの活躍が楽しみになるばかり、期待しか生まれない、最高のライブでした。


お疲れ様でした!